ペイガニズムの魔女はいつ日本に入ってきたか?
いわゆるペイガニズムの魔女の中で最初に日本に入ってきたのは1950年にイギリスのジェラルド・ガードナーが創った新しいペイガニズムの魔女であるWicca(ウイッカ)だといわれています。このWIccaの信奉者をWiccan(ウイッカン)と呼びます。
Wiccaはイギリスからガードナー派のレイモンド・バックランドによってアメリカに伝えられ、一気に広まりました。
日本の米軍基地にはアメリカ人のWiccanが結構昔からきていました。米軍中心とはいえGHQは一応国連軍の形を取っていたので、一時的滞在でしかなかったので、そこにどのような宗教の人たちがいたかは全く不明ですし、今となっては調べようもありません。
なので、1952年5月以降の在日米軍(United States Forces Japan、略称:USF)とその家族の中にいたのがおそらく年単位で日本に定住したWiccanたちであり、日本最初のペイガニズム魔女の始まりだと思われます。
だからと言って、これをもって「魔女が日本に入ってきた」とはいえません。確かに物理的に入っては来ていたけれど、当時の日本人とは交流が全くなかったわけですから。
そう考えると、実質はアレクサンドリア木星王氏が輸入した魔女が(WiccaやWitchと言っていいのかはともかく)、最初に輸入された魔女、といっても言い存在になると思います。木星王氏は海外の魔女たちにともかく連絡を取りまくり多くの資料を手に入れます。
木星王氏は情報の取捨選択をしていく中で、途中、悪魔主義などとおかしな形で混ざった情報が取り入れてしまったりして混乱していた(ペイガニズムの魔女のニュースレターに「ブラザーフット・オブ・デーモン」という名前を付けていたり)時期もありますが、1980年代にはある程度まとまった形のWIcca像を得ることに成功します。
なので、本人がどこまで、どう理解して魔女として生きてきて、今も生きているのか、はとりあえず色々な議論があるのでおいておいたとしても、ペイガニズムの魔女についてのまとまった情報を日本に大量に持ち込むことに最初に成功した人物が彼であること間違いない事実です。
やがて、木星王氏は「School of WIcca(スクールオブウイッカ)」という通信教育を始めます。これはその後の世代の魔女たちは、彼からウイッチクラフトという言葉を知り、その通信教育を受講するなりした後で、それを手掛かりに独自にルートを作った、という感じです。
やがて、1995年にWindows95が発売され、欧米では大量の魔女たちによるホームページが作られました。日本ではインターネットの普及自体が多少遅れてWindows98が発売されたあたりからになります。それによって日本の魔女たちも欧米の魔女たちと直接のコンタクトをとることが活発になってきました。
全く違った流れとしては学研の編集部長だった白木さんという方(月刊ムーを創刊した人)が古神道とウイッチクラフトの相違点に興味を持ち、1977年にジェレミー キングストンの「魔女の恐怖」というタイトルの本を出版したのもかなり草分け的な活動だったとは思います。実はこの本が出た時、白木さんご自身から本を頂き、その時直接聞いた話です。
本の内容自体は賛否分かれる部分がありますが、この時代に大手出版社でこうした「宗教としての魔女」の本を作ったということは非常に意義深いものだったと思います。
ペイガニズムの魔女やWiccaがいつ日本に?というのは諸説ありますが、大体この辺が間違いのない所です。
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